« 2005年4月 | トップページ | 2019年7月 »

2019年6月27日 (木)

自己嫌悪画像2 キンメダイさん

5503 5503 5503

| | コメント (0)

2019年6月26日 (水)

石上玄一郎

昨年、この人のことを知った。その切っ掛けは忘れてしまった。ただ、最近3冊の作品集を読み始め、今第2巻なんだけど、かなりハマってしまっている。第1巻ではまずその文章力に圧倒された。漢字の持つ力が漲った文章は読んでいて小気味良い。こういう人が今の世の中であまり知られていないというのは残念なことだと思う。太宰と比較して、メディアへの露出が当時ですら少ない人だったらしい。

| | コメント (0)

2019年6月24日 (月)

バカらしくないバカ

猫ってのは頭が悪い。同じ猫科の犬とくらべると明らかにバカだ。そうなんだけど、猫は猫なりに頭のいい悪いがあるらしく、きりっとした顔つき、鋭い眼差しが、それなりの頭の良さを感じさせる。人間で知能の低い人たちにも劣る知性でありながら、バカっぽい顔をしていないところが可笑しい。

| | コメント (0)

2019年6月23日 (日)

外子宮

この書き込みが消えちゃったので、面倒だけどもう一度書く。要は、子宮が女の腹のなかにあるんじゃなくて、体外にぶら下がるようになっていたらどうだろう、という話。もちろん、それを衝撃などから守るための装置は必要になるけど、ともかく出産の時の痛みがなくなるだろう。子宮癌だって診断も手術も容易になるだろうし。全体が金玉袋よりはかわいげのある、丸っこい皮膚に覆われていたら、こりゃ愛しさも増すだろうて

| | コメント (0)

Therese Dreaming

Balthusのこれ、大型複製がえらい豪華な額装をされて戻って来たが、壁に貼る場所がないので、当分は床置き。この絵について、少女に対する性的虐待だなどといちゃもんつけたフェミニストのバカがいたけど、メトロポリタン美術館は絵の撤去を拒否。立派。アートを守る立場を堅持している。ところで、この絵はテレーズの汗のにおいや体臭が漂ってくるような気がして、そこがエロくて好きなんだけど・・。夏の暑いアトリエで、絵の具の匂いと体臭とがまじりあっている、そんな光景。

| | コメント (0)

じじ様の番外地

ここは特に宣伝いたしませーん。基本的に自分の書きたいことをかくだけで、外から読めることは分かってるけど、積極的に読んで欲しいとも思わない。そんなことを書いて行く。外から読んで欲しくないことは別のサイトに書いている。まあ針の穴ほど外界とつながっている、という感じかな

| | コメント (0)

ついでながら・・

えー、ついでながら、FB同様、コメントを付けていただいてもお返事は書きません。ご了承ください。

| | コメント (0)

過去のブログ

2013年10月06日(日)14:17  高齢者になって
もう後戻りはできない。正式に高齢者になってしまった。昔ならそれだけで賞賛と評価の対象になったものだったろうが、多くの人が高齢化するようになった現在ではそういうこともなく、下手をするとゴミ扱いをされる。年功序列を崩したのは僕らの世代だったし、そのおかげで随分と自由で楽な時代を過ごすこともできたが、いざ自分が高齢者になると、その付けがまわってきて苦労することになる。

何かして失敗すれば年寄りの冷や水と言われるだろうし、爺は引っ込んでろと思われがちだろうし、まあ碌なことはない。

それでも僕自信は相変わらずのペースでやっていくつもりでいる。現在活躍の中心になっている40から50代の人たちのやることも気にしながら、自分の道を進むしかない。

2013年10月06日(日)14:10  同窓会
昨日は元職場の同窓会。ともかく全員年をとっているのに驚いた。あたりまえのことなんだけど。そして基本的には性格が変わっていないことも驚異ではあった。ある人は、学位がないと上の職位につけないからと学位をとりたがっていたが、何のための学位なんだろう。社内評価のため、それとも収入増のため。まあ学位てのは名誉にしか過ぎないけれど、必要になったから取ります、というようなものでもなかろう。ある人は、相変わらず言うことが良く分からない。昔っから。そして昔から一癖あり才知が回る人は今でもそのまんまだった。実直にまじめにやっていた人は、今でもそのまんま。知的財産についてだったけど、まともな話ができたのはその人とだけだった。僕より若くして亡くなってしまった人もいて、しばし彼の姿を思い浮かべた。時は残酷なものだ。

様子を知れば良かったので、そそっと会場から消えることにした。

2013年10月05日(土)07:26  FB中断の記
突然FBを書かなくなったのでびっくりされた人もおられるだろうけど、ともかくFBに書くことをやめた。SNSという流行に踊らされ、素直にそれを利用していたが、日記的な使い方をしている僕の場合、コメントを付けて貰うことが目的ではないし、特に嬉しいことでもない。とにかく繋がることに必要性を感じていない。それならSNSである必要はない。ともかくどこからでも書けるという点が良かっただけだ。

それでローカルアプリの日記ではなくクラウドの日記を探してみたけど、どうもいいのがない。で、考えてみたら、このcgiで日記を書きかけていた。これは書き込めるパソコンが一つだけという面倒臭さはあるけれど、まあ自宅のデスクトップから書くことにすればいい。

昨日、Oさんと話をしていて聞いたら、考えてることと仕事の日記を別々に手書きしていて、プライベートについては日記はつけていないということだった。さらに、不要になった記録はどんどん消しているとも聞いた。うーん、そういうスタンスもありなんだな。ついでに、住むところは賃貸にして、どこにでも引っ越してゆけるようにしているというスタンス、なかなか見上げたものだ。

実際、FBのアクティブ利用者は日本人の1/4にもいっていない。流行に乗ったつもりでinnovatorになったつもりでいたところがあったが、それじゃあ5年10年たって1億人の利用者がいるかというと多分そうではない。SNSを必要としていない人も大勢いるわけだ。そして考えてみたら僕もその一人。繋がることを嫌っていた僕は、たしかにTwitterは試してみてすぐにやめた。あれは繋がりを主目的にしているからウザかった。そしてLinkedInは"Link"することに意味が感じられなかったので放置状態だったし、ついにはFBも、という次第。

このcgi日記のいいところはコメントが付けられないところ。だから反響を知ることもできないが、うるさいコメントを見る必要もない。Oさんはfriendが4000人になっているそうで、誕生日には1000コメントが付いたけど、丁寧にlikeを押したそうだ。立派。ただ、彼女の場合は仕事がらみの発信メディアとして使っているそうだから、仕事の性格からするとそれはアリなんだろうと思った。

僕の場合、本を出したというPRをするにはいいかもしれないが、まあそれくらい。いわゆる客商売ではないから、その意味でもSNSをやる必要はない。

そんなわけでFacebookは中断にした。そしたら変な話だが気持ちも楽になった。同時に、果たしてほんとうにSNSというのは有意義な存在なのだろうか、という気もしてきた。そのあたりは先日U-siteの原稿にも書いたとおり。

まあこの日記でもいわゆる差し障りのあることは書かないようにする。それは別のところに書いていく。

というわけで

2013年10月05日(土)07:24  誕生日が明日
いよいよ明日の誕生日をもって65才、すなわち高齢者となる。今日が壮年期の最後の日。感無量というか、うーん、だな。

2012年12月27日(木)09:45  日本語での随想
ついついFBに書いてしまうので、こちらに書かずにいることが多い。FBは原則英語にしているが、日本語のニュアンスを的確には表現できないので、その点でしばしば日本語で書いてしまう。こちらに書こうとも思うのだけど、アクセス頻度はFBの方が高いみたい。まあ、こちらはアクセスしてくださる方が少ないから、勝手なことを書く場所にしよう(^_^;)

| | コメント (0)

« 2005年4月 | トップページ | 2019年7月 »