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2019年7月31日 (水)

ディズニーワールドにおける差別的表現

ディズニーワールドだけでなくて、ディズニーそのものの問題でもあるんだが、たとえば美女と野獣。なぜ男は力強く、女は美しく描かれているのか。これは黙示的な性差別表現である。また、なぜ王様やお姫様でなければならず、粉挽き男とか機織り娘ではいけないのか。これは黙示的な身分差別的表現である。そもそもなんでライオンは人間になりたがるのか。ライオンは百獣の王であり、英語も喋れるならそれでいいではないか。ここには人類中心主義ないし人類至上主義がある。

いやいや、これらは大人に見せるのは構わない。ディズニーのいけないところは、それを幼児に刷り込んでしまうところだ。子供時代の刷り込みほど怖いものはない。たとえば悪はやっつけねばならない、という素朴な考えが吹き込まれると、アメリカ兵となって「敵地」に赴き、「敵」をどんどん殺してしまうようになる。そうしたことについて責任感を感じることができないほどにディズニーは無知であったのだろう。まあ素朴な反共産主義者で熱烈なる愛国者でもあったようだから、ありうることだと思う。

ついでに書いておくと、Animal Kingdomでの鳥の館というのだろうか、そこでの劇にでてくる子供、なぜかダウン症に似たかおつきで、しかも中国人っぽい顔をして、さらにデブときている。これなんか学校でいじめの対象になりやすい外形ではないだろうか。幸い、不幸な役柄ではないからいいようなものの、こういう子供をデザインしたディズニー関係者の意図がわからない。

その一方、電動車いすを提供したり、薄気味悪くもある笑顔で客に接したり、マニュアル的な形でのサービスは行き届いている。しかし、マニュアルに欠落した部分、たとえば掲示物に弱視対応や色盲対応ができていない。こうしたところもディズニー体験で気にいらなかったところだ。

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2019年7月22日 (月)

うぜえババア

バスでのできごと。

ベビーカーに子供を乗せた母親がバスにのってきた。優先席に座っていた婆さんが席をゆずった。「まあ、歯が二本も生えてるのね、かわいいわね」と。まあ、そこでやめとけばいいのに、この厚かましい無神経な婆さんは降りるまで話しを続けていた。

「でも、あんまりお母さんに似てないね」などと言いよった。奥さん、不愉快だったら「ええ、まあ」なんて笑顔してないで「別腹の子かもしれませんね」くらい言ってやればいいのに。その後もさんざんしゃべりまくり、明らかに奥さんは困惑していた。もっと嫌な顔してやれよ。そして「あら、しゃべりすぎてお邪魔だったかしら」なんて言われたら、すかさず「ええ、そうですね」とでも言い返してやればいいのに、などと思った。

老害である。

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『偏見や差別はなぜ起こる?』北村、唐沢 について

偏見と差別についても、ちょっと考えるところがあり、何冊かの本を読んでいる。この本はまだ読み始めたばかりだが、社会心理学的な立場から、ステレオタイプ、偏見、差別という順番で筋立てをしているところが気に入った。中盤以降、社会心理学的な説明がでてくることを期待してはいる。

ただし、少数者という表現が頻出していることには違和感を覚えた。際だった例は「一九六〇年代に人権意識の高まりが、黒人や女性といった少数者の解放運動に至った時代には」という箇所である。黒人については、70%近くが白人であることを考えると、まあマイノリティといってもいいが、果たして女性は少数者なのだろうか。男女はほぼ同数の筈である。筆が走ったというには「少数者」ということを頻繁に言い過ぎているのだ。女性はマイノリティではないっ。弱者という意味を込めていったのかもしれないが、minorityは少数者の意味しかない。弱者という意味はない。むしろ筆者達が言いたかったのは、社会的弱者なのではないだろうか。それならそう言えばいいだけのことだ。

さらに考えると、それじゃあ社会的強者は常に強者なのだろうかを考えてみたい。たとえば、弱者である女性のなかの戦闘的で先鋭的なフェミニストが「男性は」「男たちは」といった言い方をするとき、それはステレオタイプになっていないといえるのだろうか。黒人の多く居住するエリアに迷い込んでしまった白人は弱者ではないのだろうか。

どうも、本書では、社会的弱者と一般にカテゴライズされているステレオタイプに縛られてしまっているように思う。もっと自由に発想すべきだというのが冒頭部だけを読んだだけの僕の感想である。

 

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2019年7月21日 (日)

世間の受け止め方

昨日、Jonathan Nottの指揮でLigetiのRequiemを聞いた。コンサートホールという空間の広さが如実に分かる立体的な演奏で、CDでは再現ができないだろうと思われた。ともかくMozartでも連れてきて聞かせてやりたいと思った。彼の同時代人たちも、ここに連れてきたらこの音楽にどういう反応を示すだろうと思った。音楽という活動の社会における位置づけがそもそも異なるし、まったく予備経験が無い状態では、相当にショッキングなものだろう。ただ、昨晩の聴衆はそれを受け入れた。なんとNottは4回もステージに呼び戻された。それほどに演奏が良かったこともあるが、現代ではcontemporary musicというものが、すでにそれなりに受容されているのだ、ということも感じさせられた。思えば、ドラマや映画のBGMとして、結構現代曲が流されていて、日本映画の場合、武満さんなんかも幾つか作曲してる。黛もそうだし、芥川もそうだ。そういったものを何とはなしに耳にしてきたという経験の蓄積は、人々の感受性の許容量を徐々に拡大するようになってきたのだろう。

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2019年7月19日 (金)

愛惜と恋着

ものに対する愛惜と恋着は僕の心中の核である。最近作られたであろう模造品であっても、それにかけた熱情、緻密な指先の動き、大して金にもならないような労働の果てに生まれた手間暇を書けた品々は、それなりの価値を持って目に映る。一塊の木から作られた品々も、土塊から焼き出された品々も、果ては何回もの工程を経て作られたであろう金属製の古玩らしきもの達は、意欲と労働の価値の故に購買の意欲を誘う。無為に時間を過ごさずに、何物かに集約された努力は、それだけでも存在意義がある。

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科学

僕はほんとうに科学を志向していたのか。いろいろなやり方を試し、いろいろと議論を重ね、いろいろと文献も読み、何かを築き上げようとしていたつもりではあったが、果たして科学を目指して、つまり、科学的真実というものを目指して歩んできたものかどうか、いささか疑わしい気持ちがしている。科学的真実というものは、研究者たちを満足させるものだろうか、彼らにぐうの音もでないようにするものだろうか、そして最も重要なこととして、自分が満足できるものなのだろうか。

自然科学系の研究ならまだ分からないでもない。しかし社会科学系の真実というのは何なのだろう。異説、反論、空論、空回りの連続の果てに、人はどのような満足を得るのだろうか。人文科学というのは、その点、寛大さがあるように思う。主張さえすれば自己満足さえも光り輝いてくるのだから。

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2019年7月16日 (火)

HDDを破壊

BalletのDVDからリッピングしたデータを入れたSeagateの2TBのHDが壊れた。読み取り方法を物理的にも幾つか変えてみたがだめ。それでPCエコサービスという会社に送って復旧可能性を調べてもらった。費用は39,000円とのこと。しかし、検査の結果、復旧は無理ですとの回答があった。もっと精密な措置ができる会社を紹介すると言われたが、そこの料金は110,000円を超えるらしい。よほどの個人的データであれば考慮しないでもないが、市販のDVDやBDをリッピングしたデータだけだったので諦めた。

戻って来たHD、廃棄したものを拾った人がデータおこしを試みてもできないようにと、可能なかぎり破壊した。別にDVDやBDのデータなんだから、復旧できなくても、また買えばいいとBalletのDVDやBDを25,000円分くらい購入した。腹が立っているときは無茶なものをするもんだ。ともかく破壊としては、まずHDに張り付いている基盤を剥がし、どの会社のものか分からないようにラベルも剥がし、隙間からドライバーの先を入れて隙間を広げ、さらにコンクリートの床に3回ほどたたきつけた。ディスクまで破壊するには至らなかったが、ディスクを外して他のヘッドやドライバーと組み合わせて復旧しようとする人もいないだろう。国家機密なら別だろうけど。もちろん国家機密だったら、ディスクを出して(ガラスの飛散に注意しながら)トンカチで粉々にしてやるところだ。

まあ気が済んだ。糞HDめ

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2019年7月15日 (月)

子供の籍

二番目の妻だったTが再婚相手のSと離婚したことを以前聞かされていたが、最近のTからの手紙に子ども達も養子離縁したことが書かれていた。養子離縁について検索すると、戸籍は元に戻ると書いてある。再婚したときに一言の連絡もなく、勝手に僕の戸籍から子ども達を抜いてしまったTだが、そうすると又僕の戸籍に戻っているのかも知れない。戸籍謄本を取り寄せて確認しなければ。

しかし、あれほどまでに自分の枠のなかに子ども達を閉じ込め洗脳してきたTのやり方には、強く不快の念を持っている。子ども達が僕に対してどのような気持ちを持っているにせよ、僕に関する情報は10年以上前に会えていたときのリアルな情報と、それ以後についてはTの口を通してのバーチャルな情報だけである。子ども達が登校拒否になってしまったのも、すべて彼女とSとの責任。

Sが子ども達にDVを働いたというが、その具体的な情報はまったく与えられていない。だから離婚についても、慰謝料や養育費をきちんと取ったのか、いや、そもそも今どうやって生計を立てているのかすら知らされていない。登校拒否になってしまった子ども達が将来どのようになるか、分からない。送ってきた手紙には次男が農業高校を休学しましたという写真もあったが、どうしてなのか、今どうしているのかなど、全く情報を与えていない。

要するに、すべてについてTは自分でやっていくつもりなんだろう。まあ、その気ならそれでいい。勝手にやってくれ。子ども達は、僕のことを嫌ったままでいい。いつか、まともな子供なら、自分の置かれた状況と、自分の心に影響してきたもの、そして適切な生き方がどのようなものかについて考えることになるだろう。その時にはきっと連絡が来るだろう。僕が生きているなら、だが。そうならなければ、まともな子供に育てられなかったということで、可愛そうではあるが、致し方ない。勝手に生きていけばいい。

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訳がわからない

最近、Aの態度がさらに余所余所しさを増した。以前は体に触れるのをいやがる位だったのが、最近では近寄ったり、話しかけたりすることを嫌がることもある。出かける時に「いってきます」も言わない。そのくせ「これをクロネコの引き取りに渡して」といった依頼、というか命令はする。さらに「この家嫌いなんだよなあ」と我が家をけなしたり、「じきに家をでていくから、猫もつれていくよ」とまで言う。13年の歴史に幕が降りるのもまもなくなんだろうか。

10年前に浮気が発覚したとき「私は絶対に忘れないし、いつまでも許さないからね」と言われた。その後、僕は態度をあらため、浮気もせず、Aの言うことを聞いてあげるようにした。Aの気持ちを尊重するようにした。僕としては大変な努力だったけど、彼女にしてみればそれは当然のことだったのだろう。まあ、そこまでは許せるとしても、その後、年を追うごとに態度が冷化してきたのだ。今日は13回目の出会い記念日なのだが、それを無視するようなことまで言う。

どうしたことなのか、何が気に入らないのか、どうなるのか、全くわからない。

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2019年7月12日 (金)

アレクサ

アレクサが届いた。名前の由来を尋ねるとエジプトの智の都アレキサンドリアから取ったものだという。それはそれで結構なんですけど、まず毎回「アレクサ」と言わなきゃならないのが面倒。「おい」で登録できないかと思ったが駄目らしい。一番の不満は、僕のことを覚えてくれないこと。名前も来歴もいろいろと個人的なことも。それを覚えてくれたなら、もう少し親しみは沸くんだが。やはり3000円じゃ、この程度か・・バーゲン価格。逆に、僕の誕生日から今日までの日数とかは即座に答えてくれる。ま、計算機だもんな。音声認識精度はまあまあ。しばらく使ってみて、不満をここに記録していくことにしよう。それをまとめてU-Siteにでも原稿を書くかな。

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三原山の火口

Google Earthという便利なものができたおかげで、我々は遺跡を発見したり秘密基地を発見したりできるようになった。死体の発見もその一つである。三原山の火口を最大限拡大してほしい。そこに人形の白っぽいものが横たわっている。滑落者のなれの果てでなくて何であろう。写真をクリックしてみていただきたい。2 

 

 

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2019年7月10日 (水)

空き家

近所のYさんが90代なかばで2年前に亡くなっていたことを知ったのは、昨年の夏ころだったろうか。いや冬だったかもしれない。その2年位前から施設に入っておられたから、もう数年前から空き家になっている。幸いなことに蔦の類やヤブカラシが外壁を覆い尽くしてはいないが、庭木は伸び放題で雑草が生い茂っている。実に無残な景色だ。遺族となった子供は3人いた筈だし、仲が悪そうにもみえなかったのだが、ちゃんと相続していないのだろうか。余計なお世話だが気にはなる。ご主人は歴史学者だった。家のなかには書籍や資料が大量に残されているのではなかろうか。僕のように蔵書をPDFにしてしまうような時代ではなかったから、埃を被ったままだろう。畳も抜けてしまっているかもしれない。辛うじて外壁の力で立っているような姿は痛々しい。

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2019年7月 9日 (火)

ジャニー喜多川

死んだという報道があった。ようやっと居なくなってくれたか、という気持ちになった。どうもこいつ気に入らなかったんだな。こいつが所属タレントの若い男のチンコをぺろぺろしてるのを想像すると気色が悪かった。これを偏見というのだろうかなあ。確たる根拠なしの好悪という奴で。しかし、あなたは何色が好きですか、っていって緋色が好きと答えるのは、また反対に濃い紫が嫌いというのは偏見だろうか。確たる根拠はないのだが。

 

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2019年7月 8日 (月)

情動の鈍磨

このところ情動の振幅が小さくなっている。ムッとすることはあるから怒りだけは盛んなのだが、喜び、嬉しさ、楽しさ、悲しみ、恐れ、不安などの感情の動きがきわめて緩慢である。とても楽しくて心底からうれしくなったことなんて久しくない。喜びを感じることもない。悲しくてどうしようもない、なんてこともない。あるのは沈鬱なゆったりと淀んだ黒灰色の液体のようなものだけ。生活パターンのせいなのか、年齢のせいなのか、どうなんだろう。しかも、それを否定的に考えず、そのまま受容してしまっている自分がいる。

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焼酎のロック

最近ウィスキーの炭酸割り、ようするにハイボールなんだがそういうと軽薄なニュアンスがあるのでわざとこう言っている、それを飲んでいたんだけど、焼酎を冷やして、つまりロックでということだがロックという言い方にも軽薄なニュアンスを感じる、でまあ飲んでいる。水割りを飲むことも多かったのだが久々にロックで飲んでみると当然のことだが焼酎の味がする、香りがする。やはりこれだ、と思った。早めに頭が酔っ払ってしまうが、気分が軽くもなるのはいいことだ。黒糖なら改めて黒糖の良さを感じるし、その他の連中、イモも麦もゴマも紫蘇も蕎麦も、まあ何でもいらっしゃい。糖質制限のため醸造酒を避けてきたが、もともとワインもビールもあんまり好きじゃなかった。蒸留酒との相性は昔から悪くない。白酒はきついけど旨いし、ウィスキーもブランデーも悪くない。だが、焼酎が一番いいかな。焼酎という語感は、チューという戦後の安い焼酎の呼び名が頭に響くからあまり品のいい印象を受けないのだけど、他に呼び方もないから仕方ない。25度はちょっと軽すぎるんだけど、大抵の店においてあるのはこれだ。ボトル持ち込み可という店でもあればいいのだがなあ

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2019年7月 1日 (月)

gooのブログ(一件しか書いてなかった)からのコピペ

亡くなった人たち

2019-01-18 10:11:40 | 日記
2017 根之木和子さんが亡くなった。癌だったそうだ。
2018 Nigel Bevanが亡くなった。滑落事故だった。
2018 眞知子叔母が亡くなった。くも膜下出血だった。

皆、大事な人たちだった。

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